えりさんの作品

えりの「いや〜ん、あんあん」2


Y県S市の市立中学校では女生徒が亡くなった翌日に、女生徒が所属していた吹奏楽部が
「新入生歓迎演奏会」 を開いたとか、約700人の学校で告別式に参列した生徒はわずか
30人で生徒の弔辞の言葉も無かったとか、全校保護者会で校長が亡くなった女生徒を
「人間関係が上手でなかった」 と評した (のち発言撤回) ことなど、
学校側の対応が明るみにもなっているとのことです。

いじめって、いつもあるのに、誰も口に出してはいけない雰囲気があります。
県の教育長は、発見されたメモの「死んだらもういじめられないですむ」という文字を
「メガネがなくてよく見えなかった」と発言してネットで叩かれていますが、見たくないということなんだと思います。

私はね、自分が奴隷だったから、なんでみんな隠すんだろうっていう怒りももちろんある。
でもね、見ないことにしたいっていう気持ちも、わかるんだ。
わかるっていっても、だから許すっていうんじゃないよ。
人間の気持ちとして。

いじめって、あまりにも当たり前にあるものだから。

人を死ぬまでいじめるって、ひどいことだと思う。
でも、それは、後になってから、死んだから、そう思うんだよね。
それまでは、いじめって、あまりにも当たり前にあるんだよ。

だから、いじめてる方だって、死ぬまでやるつもりなかったって思う。
私の奴隷仲間が死んだとき、いじめのリーダーが「まだまだいじめ足りなかったぜ」と言ってたけど、
本当はすごく動揺していたのがわかった。

Y県S市の市立中学校は昨年、3年生を中心にひじょうに荒れた状態になっていたといいます。
教師たちは、その荒れた生徒に手をとられ、生徒全体に目がいかなかった。
学校では、その生徒たちを校長室に囲いこみ、校長がなだめすかして、
事を起こさないように面倒をみている状態でした。
校長というより、子どもにおもねたただの「おっちゃん」という状態で、
校長の権威も教師の権威もないといわれていました。
学校側は、ひたすら3年生が卒業して、学校からいなくなるのを待つ状態だったそうです。
学校崩壊になっていたのです。学校崩壊の結果が今回の事件になってあらわれたのです。

これも、当時の私の学校と似ています。
私の居た学校も、かなり荒れていて、いじめグループに誰も逆らえませんでした。
男子がクラス全員の前でオナニーをさせられるのも当たり前で、
だんだん女子に対してもやるようになっていきました。
教室で堂々といじめがあるなんて、うそだと思う人も多いです。

でも荒れた学校では、当たり前にあるんです。
あと荒れてても頭のいい生徒はいますから、隠したり、証拠を残さないようにやるのもうまいんです。

いじめには、いじめられっこに選ばせるゲームがあります。
便器を舐めるか、みんなのオナニーするか選ばせたりするんです。
それがどんどんひどくなると、身体を針で刺すか、屋上から飛び降りるかとか。
自殺ごっこみたいなこともよくあって、しかたなく死ぬよりはひどくないことを進んでやりました。
奴隷同士で針をお互いの身体にいっぽんずつ刺したり。

だから私は、死んでいった子には悪い気持ちがあります。
生き残った私が、いじめはあったとかチクったりする権利ないと思うんです。

奴隷仲間の子が死んだ後も、私へのいじめは続きました。
奴隷として卒業まで鬼畜のようないじめっこに尽くしました。
いまから考えると、それが私の供養でした。

荒れていた学校でしたが、いじめはどこにでもあります。
戦って、いじめを減らすためにがんばる人も居るでしょう。
すごいと思います。
私は、奴隷の自分を選んでしまいました。

見たくないなら見なくていいです。
いじめはどこにでもあります。
私みたいに、一見普通の子でも、そんな過去で濡らしています。
昔のいじめっこを憎みながら、奴隷としての目で見上げている自分を思い出して濡れています。
いじめを隠した大人たちを憎みながら、それが常識だと知っています。自分もそれに協力しました。
もしいじめっ子たちに命令されたら、教育長さんの足元にひざまづいて、昔いじめっ子たちにさせられたように、
おしゃぶりして慰めてあげたい。
そんな妄想しちゃいます。
私はよく訓練されてましたから、口だけでジッパー下げて、くわえますよ。
とろけさせてあげる。
あ、お礼は要りません。
その代わり、あの子の残したスカーフで首絞めて、イクときは土足で私を踏みつけてェ。
スカートに真新しい靴跡がたくさんつくぐらいに。

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