えりさんの作品
奴隷階級えり・1
チャットで昔のいじめの話しをしていると、「えりさんはこうやって明るく昔のことを話せて、強いですね」
などと言われることがよくあります。
そのたびに「違うのに」と思います。
私は自分が強いなんて思いません。
昔、深夜にテレビでやっていた映画をなんとなく見ていたら、集団で犯されそうになった中国人の女性が、
その場で切腹して死ぬ場面をやっていました。
その場面が、いまでもときどき自分の中でよみがえります。
私が出来なかったことです。
汚されるなら、いっそ死んできれいなままでいたい。
そう出来なかった後悔が、私自身を責めます。
私も含めて、学校で奴隷にされた子たちは、死んでキレイなままでいることが出来なかった子たちです。
人間から奴隷になることを、自分に許した女の子たちです。
だから、私たちは「仲間」でも「友だち」でもありませんでした。
そんな誇らしい関係であるはずありません。
いじめられていないときは、お互いいつもよそよそしく、会話もありませんでした。
目も合わせませんでした。
だって、目の前にいるのは、自分の一番見たくない、奴隷にさせられた、
自分自身と同じ存在なんですもの。
ひょっとしたら、奴隷同士仲良しにならないことが、最後のプライドだったのかもしれません。
いじめっ子やクラスの子たちは、私たちのことを「奴隷同士で仲良く掃除当番してよね」
「同じ奴隷仲間だろ。仲良くしゃぶれよ」「ほらほら奴隷ども、一滴残らず飲み干すんだぞ」
なんて言われたりからかうことが多かったけれど、そのたびに感じるのが、
私たちは「仲間」ではなく、奴隷という「身分」なのだということでした。
「いまになってみれば、私は自分に授けられた奴隷という身分も、心から誇ることが出来ます。
私たち奴隷階級は、お互いに哀れむことも、目を背けることもなかったのです。
ただ、ただ、機械のように、人形のように尽くすことだけが、つとめのすべてだったのですから」