えりさんの作品

いじめ裁判A


  1990年12月26日、福島地裁いわき支部の判決は、二郎君の自殺の主な原因は春夫君達に
よるきわめて悪質ないじめである、と認め、学校側の対応に過失があった、と指摘しました。

 ところが、二郎君が学校を欠席することを許さない家族の対応にも問題があった(三割の責任)、
自殺という最悪の手段を選んだ二郎君自身にも責任があった(四割の責任)という判断なので
学校は残り三割の責任しかないという判決だったのです。

 二郎君の家族は彼が学校を欠席することを許さなかったために、学校を欠席することさえできず、
わずかに、休み時間等にはせめて職員室周辺にいるとか、場合によっては早退することによって、
一時的に春夫のいじめから逃避するという手段が残されているだけでした。
このように、二郎は、逃げ場もないままに、苛烈で執拗ないじめにさらされつづけてきました。

 そして二郎君の自殺は、彼が顕著な登校拒否症状をみせなかったため予見不可能であり、
学校に責任はないとしています。
 二郎君自身に対しては、いじめっ子に反抗まではしなくても
「せめて登校拒否をするというようなことさえできなかったのかということはいってもよさそうである」とし、
「二郎にとってはやむにやまれぬことであったとはいえ、少なくとも周囲の者にしてみれば突然に、
自殺という最悪の解決方法を選択してしまったこと自体について、二郎が一定の責任を
負うべきこととされるのはやむをえないところである」と述べています。
 いじめられっこ二郎君の、責任は四割です。

 私はこの判決を読んだとき、ショックで眠れませんでした。
 学校やいじめっ子にどれだけ責任があるかということしか考えていなかったから、
いじめられた被害者にまで、四割もの責任が負わされるとは……。
 
 私はずっと、訴え出なかったことが、私という人間にとっても、死んだ真里にとっても、
よかったのかどうか苦悩してきました。
 でもこれで吹っ切れました。
 もし訴えたのだとしたって、あれだけ性と暴力と拷問のおもちゃにされ、死に追いやられた真里だって、
裁判所は四割もの責任を負わせるのです。

 ねこさんのホームページにあった動物実験の結果のように、繰り返し絶望を仕込まれた人間は、
逃げることさえしようとしなくなります。二郎君が登校拒否をしなかった理由は、私にはよくわかります。
 でもそれは、「本人の責任」なのです。

 たとえ訴えたとしたって、なんのプラスにもならなかったってことが、これでわかりました。

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