いじめの後遺症


みなさんはじめまして
LUMの後継者 さくらです。よろしくお願いします。


いじめの後遺症
私がいじめられなくなったのは、高校3年生の頃
でした。みんないよいよ就職か大学かといってるとき
でした。やっと平和な生活を送ることができるように
なった時私の体に異変を感じたのです。
やっと友達らしい人ができていろいろおしゃべり
することができるようになりましたが、
私は、またなにかの拍子にいじめられるのではないか
と内心ビクビクしていました。ある日友達が私に
面白い漫画があるから見せてあげようと持ってきました。
たしか、「赤ずきんちゃちゃ」だったと思います。
読ませてもらうとすごく面白かったのですが、
この時私の異変に気づきました。
それは、笑えなくなったということです。
「笑う」という感情表現を失ってしまったのでした。
いつも、いじめられているときは、笑ってるといじめられ
泣いてるといじめられ、痛がってるといじめられて
いました。だからなるだけ感情を出さないように
していました。その生活が長く続いたため、いくつかの
感情を無くしてしまったようでした。
まず、笑うといこと。どうやって笑うんだっけと
考えながら、いろいろ顔を変化させようとしましたが
口をニッとできません。これはかなりながく
治りませんでした。なんとかフフフフと笑うことが
できるようになりましたが、学校を卒業した後も
人からは、本気で笑ってないとか、目が笑ってないとか、
へんな笑いかただとかいろいろいわれました。
また、能面のような人と陰口をたたかれていました。
まれに本当に面白いことがあって笑ったとしても
瞬間にもとにもどってしまうのです。
それを、見られたことがあり。さくらちゃん
の笑いかたってへんだねといわれました。
しかし、幸いいじめられることは、ありませんでした。
私は、笑う練習をしました。口をあけて、目をほそめて、
ほほのにくをあげて、わっはっはと笑う。
しかし、思ったようには治りませんでした。
とりあえずだけ、笑う形を作ろう、しばらくそれで
ごまかしながらリハビリをしようと思いました。
といっても別に病院へいくわけではありません。
自分で訓練するわけです。
そういえば、リハビリ中に思い切り笑ったことが
それは、テレビのワイドショーでいじめを苦に
自殺した少年をしのんでクラスメイトが泣いている
シーンでした。私は他のバイトの人がたくさんいるの
を忘れて「なぜ泣くの?自分たちが見殺しに
したんじゃないのだれも知らないわけがないのよ。
よくそんなしらじらしい涙なんか出せるわね」と大笑い
してしまいました。他の人は私が冷たい女の見えたでしょう。
しかし、私の心の中には、あの黒いリボンの額のなかに
私の写真が入っていて、母や父が私のお葬式で泣いている
姿がテレビの画面とだぶって映りました。すると体が自然
と震えだし唇を噛み締め、つめが手のひらに突き刺さるほど
握り締め本当は、私はすでに死んでいて、いまいる
この世界はまぼろしでもなにも不思議ではないのね。
と思いました。

ほかにも、感情がなくなってるものがありました。
可愛いものを見ても可愛いとは、感じない。きれいなものを
見てもきれいと感じないようになっていました。
子猫がいました。普通は可愛いと感じるのでしょう。
しかし、わたしは自分には似合わない無関係な物体
に思えるのです。「可愛い」という言葉自体
15年間ほど使った覚えはありません。
私には、じゃれてる子猫も、車にひかれて内臓が飛び出して
いる子猫も同じもののように感じ、むしろ後に言った
ほうが興味があるくらいでした。ふかふかした毛の
クリッとした目の子猫なにが、可愛いんだろう
可愛いってなんなんだろう?と考えることも
ありました。どうせ自分には関係のないことね。
そうして、考えるのをやめました。
テレビのニュースでよく少年犯罪が起きて、いじめに
あってた少年が動物を虐待する気持ちがなぜか
私にはわかるような気がするのです。
私もやってみたいなと思ったこともありましたが、
たぶんやってもなにも感じないので、
スカットはしないで、かえってめんどくさいだろうな
とかんがえるくらいです。
しかし人間を殺すとなると話は別でしょう。
その、充実感、その征服感、ナイフの刃先から
伝わってくる肉の感触は、小動物とは比べ物に
ならないでしょう。
ある日、バイトの友達と4人くらいで歩いていると
足元に子猫がいて、私はまたいで先へ進むとあとの
3人は「かわいいーー」と言いながら、かわるがわる
抱っこしていました。私は、10歩ほど歩いて
振り返りその姿を見て体が硬直してしまいました。
「あれが普通の人間の感情なんだ。私には、出来なかった」
私はあえて子猫を抱っこはしませんでした。くやしさ
のあまり頭からかじってしまいそうになったからです。
私は可愛いものをさけようと思いましたが、なにが
可愛いかをわからない以上避けて通ることは
できないのです。友達が可愛いと叫ぶと私は頭をかかえて
どうせ私は、可愛いがわかりませんよと開き直るしか
ありません。「これ可愛いね」と言われると「そうね」
と言うしかありませんでした。なにがどう可愛いか
なんて到底わかりません。
美しい物を見てもなにも感じなくなっていました。
きれいな花を見ても、なにか砂を噛んでいるような
花なんか見ているぶんだけジャリジャリという違和感
があるので、見ない方がまし。どうせ私には
関係の無い物。美しいものは私には似合わない。
ただ匂いの感覚だけは、残っているようで花はいい匂いだ
という感覚はあるみたいでした。
服なんかもきれいな服や流行の服などを着ると
いじめられるので、なるだけ地味で目立たない
汚されても大丈夫なような、色彩感覚の
全くないものを着るようにしていました。
今現在その感覚をとりもどそうとがんばってる
つもりですが、全然だめですね。
小さい頃から養ってきた感覚を無くして
今からがんばってもやはり、小さい頃から
のびのび生きてきた感覚には勝てないとか
理解できないようになりました。
後遺症というと、こんな感じですけど
他にも、いいたいことはいっぱいあって
私には、青春がありません。よく言われる多感な時期
を10年間いじめられてきたので多感ではなくなりました。
中学3年生の卒業アルバムを作るために部活の連中と
記念撮影をしてそれを、3年生部員に配るのですが、
私は申し込みませんでした。そこにはいじめっ子が
いっしょに写ってるからです。後になってから顧問の
先生から、呼び出しがあり「お前だけだぞ写真を
もらわなかったのは。お前の青春だろう」と言いましたが
わたしは、吹き出しそうになり「なにが青春なんだろう
こんないじめられっぱなしでみんなの前でオマンコ見せ
たり、オナニーやらされたりそれが青春なんだろうか」
と心で叫んでいました。青春ていうのは、テレビで
アイドルタレントがチャラチャラやってるあれが青春で
単なる芝居だと思っていました。先生から一枚だけ残った
写真をよこされました。「これしか、残ってないぞ」
それには、「サンプル」と大きく書かれていました。
これはいい、わたしにぴったりだ。サンプルの青春
本物でない青春、例えばの青春。結局青春というのは
なかったんだ。とりあえずその写真を受け取ると
「ありがとうございました」とだけ言って職員室を
出ると、その写真をビービーに破いて捨ててしまいました。
この写真の姿こそがわたしの青春の時期そのものでした。
初恋なんかもよかったですね。私には、近所に住んで
いた幼なじみの彼がいました。幼稚園のころはいつも
遊んでいて彼のお母さんからは、「彼女が来たわよ」
と言われて照れてたときもあり、後にそれが初恋だなあ
なんてつい最近考えるようになったところです。
ところが、お互い小学校に入ると全然違う運命を歩んだ
のです。彼は人気者でよかったのですが、私は
いじめられっ子になってしまいました。そのころから
彼とは顔を合わさなくなり幸いクラスが同じでなかった
のですが、私がいじめられていることは知っていたよう
でした。私は知られたくなかったです。本格的な悲劇
は中学になったときです。同じクラスになってしまいました。
その頃近所だということもあってなんとなく付き合いは
あったのですが。その彼の前でいじめられ、全裸にされ
オマンコをいじられオナニーをさせられ、オシッコを
させられ・・・。見られたくなかった。私がいつものように
教室でオナニーをさせられていると、彼と私が幼なじみ
だと言い出した人がいて、私は彼がいじめられないように
オナニーの手を早めたり、声を出したりして彼に火の粉
がかからないようにしたこともありました。もう彼と
呼べるような関係でないようにしました。彼を恨んでは
いません。15人もの暴走族です。3つの中学の暴走族
をまとめた総番です。私の体くらい犠牲にしてもいい
と思っていました。彼を巻き込みたくない。
彼とはそれきりです。そのほうがいいのです。その当時
からもあいさつも出来なかったし、目を合わすのも
つらかったです。彼は私のオマンコを見てどう
思ったでしょう。きっと迷惑だったでしょうね、
私と幼なじみで。そんな私たちが高校に入りました。
彼は、男子校、私は共学の落ちこぼれ高校でした。
そして、高校3年生の時その噂を聞いたのでした。
「彼が男子校でいじめられている!!」と
私の心臓はつぶれるくらい痛みました。
「彼に会いたい。会って慰めてあげたい。」しかし
慰めてほしいのは、私も同じで高校でも散々ないじめ
にあっていました。そして、3年くらい前のはなし
母が結婚はしないのかと言うのですが、私はまだ
人間らしい感情がもどってなかったので、ましてや
「愛」とか「恋」とか「思いやり」とか、食べると
おいしいのかなとしか考えていませんでした。
「彼とは結婚しないの?私たちはてっきり結婚すると
思ってたよ。彼のお母さんもそう言ってたよ」
と母は言いましたが。学校で大勢の男たちの前で
オナニーを何回もやらされてイカされて、そんな
汚れたキズもの女と知っていてお嫁にもらうやつ
はいないです。いじめによって大きく運命をかえられて
しまいました。彼はいましっかり結婚しています。
就職の都合でもう近所にはいません。幸せになって
ほしいです。
結婚で思い出したことがあります。結婚を占ってもらおうと
友人と占星術の先生のところに行ったときのこと
「あなたいままでものすごい苦しい目にあってきましたね」
と言われて膝から崩れ落ちるようにしておお泣き
してしまいました。やっぱりわかるんだ。その日は友人
に抱きかかえられて帰りました。友人は気を利かせて
くれてそのことはふれないでいてくれました。

そういえば「寂しい」も私にはなかったです。
ちょっとまえに「寂しい」がわかるようになりました。
人間は一人では生きてゆけないんですね。

後遺症といえば「悪魔」のことも言っておかなければ
なりません。「悪魔」は私もよくわかりませんが
もうひとつの人格のようです。こいつは私を殺そうと
しているようです。高いところに登ると飛び降りたく
なったりします。そんなとき、なるだけ端に近寄らない
ように天使が体を引っ張ってくれるような感じで動きます。
駅のホームもあぶないです。いじめられてたことを
考えていたり、この前のLUMの自殺の構想を考えて
いたら、後ろから誰か押すような、胸の中から誰かが
引っ張るような感じに襲われました。やばかったです。
「天使」もよくわかりません。私がピンチのとき
悪魔にはチャンスでそんなとき自動操縦のように体
を動かされます。最近17才の少年犯罪がよくあって
「悪魔がやらなきゃいけないといったんだ」と
言ったそうです。この悪魔って私の中の悪魔のことで
しょうか。私も殺人鬼になってしまうのか不安です。
人は酷い虐待を受け続けたとき、それからのがれたい
ために客観的に見ているもう一人の自分を自分の中に
作り出すのだそうです。あれは自分じゃないと思いたい
のだそうです。

最後に自殺の話ですが。よく新聞なんかでいじめ自殺
の記事があると「ああまた仲間が逝ってしまった」と
嘆いています。その反面この人は行動力のある人だな
とも考えます。「生きてればいいことあるさ」とか
「 明日がある、明日がある 、明日があるさ」とか
言っていますが、とりあえず生きている私は、どちらが
正解かまだ結論がでていません。
NHKのテレビのいじめられた人のトーク番組の中で
「自分の中の半分はもう死んでいる」いった人がいました。
そのとうりだと思います。私はその死んで失った部分を
復活させようとしているわけです。が無理な部分も多い
です。失ったものは大きいです。

ダラダラとつまらないことばかりカキコしてごめんなさい。
これからもがんばってカキコします。

さくら

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